世の中の厳しさに、どう立ち向かっていくか

特別支援教育を含む障害をもっている方たちに対しての対応や、不登校の子たちがしばらく学校のことは忘れて充電期間を取るというようなことに対し、「甘やかしている」とか、「もっと厳しくしなくては」といった意見を言う人がいます。

 

このような人たちは、社会はもっと厳しいのだから、そんなことでは社会でやっていけないというようなことを理由に挙げて話を展開します。

しかし私は、このような人たちが言っている厳しさと、社会の厳しさは別物だと考えています。

なぜなら、きちんと選べば障害に対して配慮し、その方の能力を引き出そうとする会社もありますし、学校と違って会社は選べるからです。

 

たしかに、多くの大人たちが感じているように、はっきり言って世の中は厳しいです。

生半可な覚悟で社会に出ると、大変な目にあいます。

社会は理不尽なことばかりだし、いろんな人がいて日々消耗していきます。

 

加えてテクノロジーや法律、常識はどんどんと移り変わり、それについていくのがやっとです。

 

そのようなスタンダードをつくりだしているのもまた、一部の優秀な人たちだったりもします。

 

このようなことをわかったうえでうまくその波を乗りこなすのか、乗りこなせないまでもなんとか顔だけ出してもがくのか、もしくは波にのまれて沈んでいき、それでもなお搾取されるのか…できれば乗りこなせるための術を身につけ、楽しく人生を送っていきたいものです。

 

世の中はとても厳しく、力強く生き抜いていくためには、絶え間ない努力が必要です。

しかしこの努力は、他人に強制されて行うものではありません。

自分自身を成長させられるのは、自分自身しかありえません。

今努力しない責任は、こどもであっても自分自身が背負うことになります。

だって、中学生の時の努力は、学歴という形になって実を結ぶのは、ずっとあとになってからですから。

 

では大人たちは、こどもに何をすることができるのでしょうか。

それは、世の中の厳しさ、楽しさ、努力の大切さ、努力の方向性を一緒に考え、伝えていくことや、努力のための環境を整えることだと考えています。

決して、無理やり努力させることではありません。

 

一方で、適切に自分自身を守る方法や、誰かに助けを求めることもまた、とても大事です。

苦手なことは誰にでもありますから、それは得意な人にやってもらい、自分はそれ以外のところで力が発揮できるようにします。

極限まで追い詰められても人間は力を発揮することができませんから、そうなる前に見極めて、逃げることもまた、厳しい世の中を生き抜くために必要なスキルです。

 

厳しい世の中ではありますが、生活保護や障害者年金など、多くのセーフティネットがあり、この国はまだまだ、困っている人たちを助ける力を持っています。

そのような制度を適切に使っていくことができることも、処世術としては大事なことでしょう。

 

このようなことが甘やかしだというのなら、この国は行き詰っているということでもあります。自分もいつか弱る日が来るかもしれないし、年を重ねていけば徐々に力が低下していくのは当たり前のことです。

今のところ元気な人が、今たまたま弱っている人を助けられる社会でないなら、元気な人がとても少なくなってしまっている証拠ではないでしょうか。

今日本に流れている他人を許せない空気というのは、このようなことが原因になっているのかなとも思います。

 

厳しさはもちろん必要ですが、体調を壊してまで、不得意なことを無理やりやってまでがんばったとしても、多くの場合はあまりいい結果にはなりません。

そうではなく、自分が無理なく戦って、自分の力が最大限に発揮できる環境に身を置く、もしくは作り出し、そこで最大限の努力をすることこそが、最も大事なことだと考えています。