私たちの教育への思い

私たちは元教員として、教育に対して思うところがたくさんあります。

学校の外側から教育を見つめたとき、教育の中でも特に、学校教育は限界を迎えているように感じています。

少子化にもかかわらず、空前の教員不足に陥っていることは、不登校のお子さんが増えていることと無関係ではないと思います。

 

これだけ多様性を認めるということが重要視されていながら、学習指導要領にも多様性という言葉が登場しているにも関わらず、学校教育は根本的には、近代の学校教育が開始されてからほとんど変わっていません。

規律や和を重んじ、多数のこどもたちが一様に同じような活動を毎日繰り返すことは、従順な国民、社会人を教育するという目的には、非常にマッチしているでしょう。

企業は指示待ちをするな、自分の頭で考えろといいますが、その実、従順に働いてくれる従業員を求めています。

 

集団活動が苦手だったり、人とは違う感性を持っていると、異端扱いされ、学校での居場所がなくなっていきます。そのことで精神をすり減らし、自信をなくし、学校に行けなくなっていくこともあるでしょう。

 

学習が嫌いなこどもがこれほど多いのも、何かがおかしいと思うのです。

なぜなら、本来学ぶことはとても楽しいことだからです。

 

これは、学校教育を全否定しているわけではありません。非常に日本の教育レベルが高いことを考えると、学校は存続させるべき存在なのだと考えられます。

問題なのは、学校に合わないこどもがこれほど増えているのに、学校でしか教育の機会を保障していないことにあります。

我慢して学校に通う必要はなく、家庭で、塾で、民間の教育機関で、学ぶことが認められるべきではないでしょうか。教育の自由化です。

 

実は、法律や文科省の指針では、上記教育の自由化はすでに実現しています。「教育機会確保法」という法律をご存知でしょうか。

旧来の不登校対応は学校に戻すこと一辺倒でしたが、今は無理に学校に戻すのではなく、学校以外での教育機会を保障することが求められています。実は私たち放デイもその一部です。申請して学校長が認めれば、学校の出席扱いにできる仕組みがあります。

これを公にすると、学校に行かないこどもが増えるのではないかという議論があります。

 

そもそも、学校に我慢しなければ通えない、学校は我慢していくべき場所だというのが、間違っていると思いませんか。

学校は学校で、もっと楽しく学ぶことができる場所である必要があります。

 

こどもは何一つ我慢しなくてよいと言っているのではありません。

もちろん、努力は必要だし、辛いことや苦しいことを乗り越える必要はあります。世の中で生きていくのはとても厳しいことです。

ただ、努力や辛いこと、苦しいことは楽しさをともなうべきだと思うのです。

個々の持っている能力が、正しく発揮されるべきだと思うのです。

 

 

私が日々妄想している世界は、こどもも大人もみんな、楽しく自由に学んでいる世界です。

勉強や学校が嫌いでも、別の能力を開花させ、正しく努力して、みんなが生き生きと過ごしている世界です。

私の力は微力ですが、今後たくさんの仲間とともに、この世界を実現していくということが私の野望です。